« 2008年03月 | メイン

2008.09.29 月

能舞台の秘密(その10)白洲の意味

 舞台の足元を取囲んでいる、白い小石が敷詰められた所を「白洲」と言います。「何故、こんなところに白い小石が?」と思う人もおられるでしょう。いまでこそ能楽堂はビルなどの大きい建物の中に、見所共々収められていますが、昔の能舞台は野外に造られており、舞台からはなれた所に見所があり、舞台と見所の間には白い小石が敷詰められた「白洲」がありました。これが今日の「白洲」の原型です。

 では何のための「白洲」かというと、能舞台の大きい屋根の下で演じる役者の顔が陰となるので、太陽光線を白い小石に反射させ、役者の顔が見所から良く見えるようにと考えられたものであります。故に、今日の「白洲」は原型の目的はともかく、その形式だけを守っているのであります。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

能舞台の秘密(その9)床と床下

 舞台の床は、長さ3間の桧の厚板を舞台の先端から後座まで、縦に並べて張られている。役者は舞台上を移動する際、スリ足を用いるので、床材の桧は滑らかに削り、床束を用いず根太の上に渡して、釘を使わず楔で止め、床全体に弾力性を持たせ、舞いやすく演じやすくする工夫が凝らされている。桧で作られた能舞台だから、世間が認めた華やかな場を「桧舞台」と呼ぶようになったのです。

 また、床下の土間には9個の穴を掘り、素焼きの大きい壷を据えて、役者の足拍子等の音響効果に役立てようとしたのも、先人たちの努力の結晶でありますが、最近の舞台では「こんなことをしなくても音響装置で十分にクリア出来る」として、壷を据えない舞台が続出しています。なるほど現代の音響装置は、客席には十分の効果があるかも知れませんが、足拍子を踏んだ役者には、反響が伝わらないのであります。この反響が役者に伝わった時に、「壷にあたった」とか「思う壷」などの謂れとなった満足感が役者に生まれるのであります。

 このように能舞台には、現代社会で使われている言葉の謂れが、隠されているのです。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

能舞台の秘密(その8)柱

 ここで言う「柱」は、舞台の四方にあり人体の四肢にも
譬えられる、太い4本の柱のことです。
「能舞台の秘密-その7」の図を参照してください。

①シテ柱 舞台に向かって左奥にあり、端掛りと舞台の境目に
     ある柱。能のシテがこの柱の側に立つことが多いから、
     このように呼ばれています。

②目付柱 向かって左手前の柱。面をつけた時は役者の視界が
     極端に狭くなります。そこで自らの位置を検討するのに
     必要な柱がこれです。
     この目付柱が脇正面の観客には、鑑賞の妨げになるからと
     撤去している能楽堂も何ヶ所かありますが、
     本来の柱の意味を考えれば問題視されるかも。

③脇柱  向かって右手前の柱。能のワキがいる場所に接しているので
     この名がついたのです。役柄として大臣や大名が近づく柱
     でもあり、大臣柱や大名柱とも名がついています。

④笛柱  向かって右奥にある柱。囃子方の笛方が座るところに
     近いのでこの名がついています。また、この柱の下の方には、
     能の「道成寺」の大鐘を、天井につるすための綱を結える
     鉄環がついていることから鉄柱(かなばしら)とも言います。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

能舞台の秘密(その7)能舞台の各部の名称

 能舞台は3間(5.4㍍)四方の舞台と、その奥の後座(横板とも)と、橋掛りを指します。
 能舞台の主なポイントには、色々な謂れを持った名前がつけられています。

能舞台の各部の名称
①シテ柱
②目付柱
③脇柱
④笛柱
⑤常座(名乗座)
⑥脇座
⑦後見座
⑧板付(狂言座)
⑨後座(横板)
⑩太鼓
⑪大鼓
⑫小鼓
⑬笛



投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

2008.09.14 日

能舞台の秘密(その6)階(きざはし)

 今日では使うことはありませんが、舞台の前方中央に据えられた階段を「階(きざはし)」といいます。

 昔は公演の主催者側の仕切りをしていた「能奉行」が、この階段を上り揚幕の前で楽屋にいる役者に公演の開始の合図をし、またこの階段から自身の席に戻ったとされています。また、公演が終了し、主催者からの労いの言葉や褒賞を持った能奉行がこの階段を上下したようです。

 このように今は使うことがなくなった「階」ですが、役者にとって都合が良いのは、この「階」の先端が舞台上に顔を出していることです。面をつけた時、この突き出た先端のおかげで容易に舞台のセンターラインを知ることが出来るのと、舞台の最先端が見えることです。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

2008.09.13 土

能舞台の秘密(その5)切戸(きりど)

 舞台へ上がるには揚幕の他に「切戸」があります。
 舞台に向かって右側奥隅の板壁に作られた、幅90cm高さ120cm位の引き戸があります。これを「切戸」または「切戸口」と言います。

 これは後見や地謡などの演技者以外の人が出入りする際に使用します。また仕舞の舞人や囃子方も使用致します。時には、舞台で殺された役や 演技がすんだ人なども、目立たないようにこの戸から出ることがあります。あっては良くないことですが、体調等により舞台で演技を続けることが出来ない人が出た場合、この「切戸」から出てもらい残りの部分は後見が代行するように決められています。

 この「切戸」での出入りの際、臆病そうにこそこそと出入りする格好から、別名を「臆病口」とも言われています。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

2008.09.12 金

能舞台の秘密(その4)揚幕(あげまく)

 橋掛りと鏡の間の境にある五色(緑・黄・赤・白・紫)の幕を揚幕という。役者が舞台への出入りをする際に上げ下げをする幕である。幕の下、両端隅に結えつけた2本の竹の棒にて、2名の「はたらき」がすくい上げるようにして幕の開け閉めをする。すくい上げる様にするので揚幕という名が付いたとのことである。

 昔は公演をする際、舞台を中心に周囲を幕で囲み、観客はその中に入り、芸能を楽しみました。楽屋は幕の外ですから、役者が舞台に上がるにはこの幕を潜らねば、舞台へ上がる事が出来ないので、幕の一部を切ったことから別名を「切り幕」とも言うようです。

 五色は五行説からきているそうですが、その配列は舞台によって必ずしも同じではありません。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

能舞台の秘密(その3)一の松(いちのまつ)

 橋掛りの欄干の下、白砂の所に若松が3本立っています。舞台に近い方から一の松、二の松、三の松と名がつけられております。
 この3本の松は、一の松が一番背が高く、次が二の松、そして三の松と、背丈が変化して立てられています。これは橋掛りの両端の距離を強調するために、松の背丈の変化による遠近感の錯覚を利用した工夫であります。
 この工夫により役者の運ぶ「序・破・急」がさらに強調されることとなりました。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

2008.09.11 木

能舞台の秘密(その2)橋掛り(はしがかり)

 橋掛りとは、舞台と「出」を待つ「鏡の間」を繋ぐ紛れもない「橋」であります。舞台へ上がろうとする役者の登場通路であり、舞台に別れを告げ、現世に戻る退場通路であり、能楽の場合は 設定されている場所と同時ではあるが異なる場所として存在し、ストーリーの展開になくてはならない舞台の一部となっている。

 また、この橋掛りは、舞台に向かって僅かではあるが上っている。これは舞台に進む役者に意気込みを与え、しっかりとした足の運びを演出するのに役立っている。当然、出るときが上りならば、入るときは下りとなる。これはストーリーの終焉を強調するのに、役者が急いで舞台から消えるのに必要な演出である。故に、この橋掛りの傾斜は、太鼓の撥が静かに転がるところから「撥転がし」異名が付けられている。

 橋掛りの長さは概ね5~7間と一定ではないが、役者にはさほど問題はないようである。一方、橋掛りと舞台との取付け角度は90~110度とまた色々であるが、こちらは役者にとって大いに気になる角度なのである。特に「釣狐」においては、逃走する「狐」のルートに影響する。これについては一度「釣狐」の公演を見て頂ければ、解かって頂けるでしょう。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

2008.09.10 水

能舞台の秘密(その1)鏡板(かがみいた)

 鏡板とは、舞台の正面バックに、松の木の絵が描かれています。あの松の木のモデルは、奈良にある春日大社の参道を登った、一の鳥居のすぐ右手の小高い所に、老松の木があります。これを「影向の松(ようごうのまつ)」と言い、これが舞台のあの松の木のモデルとされています。  
 この「影向の松」は、昔々日本全国に「疫病」が流行したとき、春日の大明神がこの松に降りて来られ、「萬歳樂」を舞って「疫病」の退散を祈念されたという「霊木」であり、爾来春日に参内する者は、この松の木の下で一芸を、披露しなければならないとされた。それが「おん祭り」の際には「松の下の式」として今日に伝えられています。

 この形で芸能を披露すれば、舞台バックの松の絵に向けて演じることとなり、観客にお尻を向けての舞台となります。「神様にさえ見て頂ければ」という考えならばいいのですが、「観客」というスポンサーには一寸問題が残ります。そこで知恵を絞って考えた結果、演者はあくまでも「松」に向かって芸能を演じているつもりで、背面の「松」は「鏡」に写ったものとして、今日の能舞台の原型を作ったとのことです。故に 背面の松を「鏡板」と言うようになったとのことです。

 昭和になってある歌手の方の名文句で「お客様は神様です」が有名になりましたが、能楽の世界ではもっと以前から、お客様を神様として松の木の前で芸能を披露してきたことが、解って頂けますでしょうか。

 ついでに あの松は何故老松でなければならないのかを説明しておきますと、まず第一はモデルが「影向の松」という老松であったこと。次に、神様が「萬歳樂」を舞ったことから考えて、老松の様に太い幹で、枝が左右にはった安定感のある松の木でなければ、神様といえど舞楽は舞いにくいでしょう。また、松の木の幹は太くそして鏡板のセンターに位置していることがベターであります。舞台で「面」をつけると相当に視野が狭くなります。クルッと回ったとき、自分が今どの方向に向いているのかを判断するのに助かります。一方、林の様に老松が沢山あれば、今度はどの幹か判断に困ります。老松は孤高の木でなくてはなりません


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

2008.09.05 金

舞台は昔から自動扉でバリアフリーで土足もOK

 狂言の舞台での建物は、そこには何も存在しませんが、今日の
公共施設と同様全てが自動扉でバリアフリーにセットされています。
他人の家に行った時ドアチャイムを鳴らすでもなく、ドアや扉を開く
でもなく、履物を脱ぐこともなく、何時の間にやら家の中に入っています。
これは省略することにより、その動作を強調するのに役立っています。
すなわち、舞台の上を空中浮遊するが如く、動きを邪魔するような物が
あろうがなかろうが、全てを透過するが如く移動する。
これが舞台は歩くのではなく、運ぶということなのでしょう。
 特に長袴の主人について考えるならば、家の中にいる姿のまま外に出て、
目的地までの道行きをし、そのままの姿でそこの家に上がって行くと
いうように日本人の本来の生活では考えられない姿がそこにあります。
しかしこれが狂言であることを理解して頂きたいのです。
そこに真実はともかく、「つもり」という狂言独特の世界があることを
知って頂きたいのです。


投稿者 狂言大藏流 奈良篠基会

ページアップ